きつねこブログ

こんにちは。きつねこです。ニートです。世の中を冷めた目線で見てます。

【人はなぜ生まれてくるのか?】 人は苦しむために産まれてくるのである

こんにちは。きつねこです。

長い間、ブログ更新できずにすいません。

単純にサボってました(笑)。

 

というわけで、今回も個人的な考え、思想を書いていこうかなと思う。

 

 

今回書いていくのは「人が生まれてくる意味」

 

書いていこうと思っている題材は、

「人が生まれてくる意味」

について。

まぁ、このブログでは過去にもこういう話は腐るほどしてきてるし、

もう結論は出てるけど、僕は、

この世界に産まれて来る意味なんて何もない。

ただ生まれてきただけ。ただ親が性行為をして精子と卵子がぶつかり、ただ新しい人間ができたというただそれだけ。

という話を腐るほどしてきた。

 

なので、そこには何も神秘的な話とか、奇跡とか、命は素晴らしいとか、そんな美化された話ではないのである。

ただ親の性欲に突き動かされて出来上がった汚い汚物とでもいう方が個人的には腑に落ちるわけだ。

勿論、良い方は汚いかもしれないけど、神秘的、スピリチュアル理論を信じるか、目に見える客観的ファクトで生きる意味を判断するかはあなたの脳みその出来に任せるとする。

 

まぁ、結局スピリチュアル理論を信じてる人は論理的に考えれてないし、スピリチュアルという目に見えない一種の逃避的ポジティブシンキング、無理筋ポジティブシンキングをしているだけなのだけどね・・

勿論、そのクソみたいなポジティブシンキングが周りに迷惑をかけないのであれば、その人の人生を豊かにさせるし人生を楽しめる。そのようなポジティブシンキングはどんどんしたら良いと思う。

でも、そのポジティブシンキングで周りに毒ガスをまき散らしているのであれば、それはエゴで迷惑者と言わざるを得ないだろう・・

例えば、出産とか・・(いつも言ってるから今回はあまり触れない・・

 

 

話逸れてる。 人は苦しむために産まれてくる。

いつもの悪い癖。

話逸れてる。

話を戻して、人の生きる意味について考える。

まぁ、前々から生きる意味なんてないな、って思っていたんだけど、最近こんな結論にたどり着いた。

もしかして、人って苦しむために産まれてきてないか?

って。

そのわけについて書いていきたい。

 

そもそもの世間での生きる意味について触れておこう。

まずはよく耳にする生きる意味。

スピリチュアル理論とか宗教的理論とか。

よく耳にするのは、こういう奴だ。

「人は成長するために産まれてくる」

「人は魂を磨くために産まれてくる」

「人は修行のために産まれてくる」

「人は人生を楽しむために産まれてくる」

まぁ、かくいう僕もこういうゴミみたいな生きる意味に18歳くらいまでは洗脳されてたんだけどね・・

苦しい場面に出会っても、「これは修行なんだ!神は試練を与えてくれている!」というね・・

 

あぁ~~洗脳されてんな~っ。て今の僕が見たらそのように思う。

マジで過去の自分は哀れであった・・

 

そもそも人生がナチュラルに楽しいのであれば「人生楽しもう!」などという発言はでてくるわけがない。

よくいる「人生楽しもう!」という人やテレビなど多いけど、それを言っている時点で人生は苦しいという裏付けになっているのに気づいてないのだろうか?

そもそも論として心から楽しいものに人は、~を楽しもう!などという発言はしないはずなのである。

例えば、僕はゲームや読書などが趣味なのだが、

わざわざゲームや読書をするときに楽しもう!などという発言や思った経験は記憶にない。

友達と遊んでいる時に「ゲームを楽しもう!」などという発言は聞いた経験がないし、そもそもそんな発言しなくても、楽しいからやっているわけであって。

逆に、ゲームをしている時の楽しもう!という発言そのものが場をシラケさせるわけで・・

人生は苦痛が多いからそれを少しでも考えないように嘘でごまかしているのが透けて見えるだけ。

 

そもそもなぜ成長しないといけないのか?そもそもなぜ魂を磨かないといけないのか?

そもそも論だけど、なぜ人間が成長しないといけないのか考えた経験はありますか?

なぜ人は成長しないといけないのかというと、

社会・人から見下されたり、必要とされなくなったり、排除されたり、いじめられたり、排除されるからなんですよ。

要はね。

成長しよう!立派な人間になろう!というポジティブ的な動機よりも、人から認められたい!見下されたくない!などという危機感的な動機の方が人って強いと思うのです。

かくいう僕もですが、過去に引きこもっていて。

正直、引きこもりのどこがいけないのかわかりませんが、

人からは働いてないだとか、親の脛齧りだとか、ゴミを見るような結構白い目で見られたんで、そのような扱いは受けたくない!という前向きな動機ではなく、回避的な動機現実逃避的な動機から引きこもりから脱出したわけでございます。

 

良くも悪くも、世間の冷酷な目線が僕を動かしたわけですけど、僕としては人間のゴミみたいな軽蔑心理で成長できたんで、成長ってある種の世間の目からの負けであり、現実逃避じゃねーかとも思っています。

ていうか、僕はね。

そもそも論として、みんな成長なんかしなくても幸せに生きていける社会であるほうがずっと幸せだと思うんですよ。

そして、成長なんかせずとも生きられるのであれば、誰しも成長なんかせずに気楽に生きて、遊んで生きたいはずなんです。

引きこもりのまま生きられるのであれば、ずっと引きこもりのまま生きていたい。引きこもりのままでも軽蔑されずに生きていたい。

引きこもりでも社会から認められながら生きていたい・・

要は成長ってワードはかっこいいけど、よく見れば結構残酷なんですよ。

所詮は弱肉強食の競争社会を美化した言葉に過ぎないですからね。

上手く人を殺せる能力が向上するという過程が成長というらしいです。(良い方は過激だけど。

成長すれば、何が良いかって、簡単に弱者を黙らせられますからね。弱者を社会上から抹殺できるんです。

まぁ、所詮、この世界なんてそんなもんです。成長してどれだけ弱者を黙らせられるか。弱者の上に立てるか。それを競うゴミゲーですからね。そんなゲーム楽しもうって方が間違ってる気がするのです・・

成長なんか強要せずとも生きられる社会の方がめちゃくちゃ優しいのだと。と思ってます。

 

成長するのも「苦」。「苦」はどうあがいたって避けられない

まぁ、個人的経験からも僕はここ数年成長できてる~。と実感できているわけですが、決して楽しく呑気に成長できているわけではなく、それなりに試行錯誤しながら考えたり悩んだり行動したり、日々人生という格闘を何度も行っているわけでございます。

そんなわけで、成長するにも「苦」というものは避けられないものでありまして、

「苦痛」を回避するために「苦痛」に飛び込み、「栄光」「成果」というものを獲得しないといけないわけで・・

「成長しない」⇒「軽蔑・周りからの冷たい目・社会から排除される」【即ち「苦」】

 

「努力・試行錯誤・行動の日々」【即ち「苦」】⇒「成長した自分・社会での居場所確保。」

どの道「苦痛」は回避できねーじゃねーか!!!

というのがこの人生の正体らしいのです。

悟りを開いたと言われるお釈迦様も壮絶な修行を経験し、それが過程で悟りにまで至ってますからね。

2か月間何も食わずに断食をやったとかどうとか・・

 

まぁ、このように思い、人生はどの道を通っても「苦」から逃れられない所を見ると、人生そのものが「苦」であるという図式が成り立つなという解釈に僕は至りました。

 

要は人生そのものが「苦」であると・・

人生=苦

であると・・

それだけだと・・

 

人は意味もなしに産まれてきて、意味もなしに苦しんで、意味もなしに死んでいく・・

なぜか、この連鎖をホモサピエンスが現れた25万年前から人類はせっせと続けているらしいんだ・・

考えただけでぞっとする・・

人は苦しむために産まれてくる・・

そのためだけに産まれてくるなんてまっぴらごめんなのである・・