子供を作る奴は死刑で良いと思う(反出生主義の叫び)
子供を作る奴は死刑で良いと思う。
うん。書いてる自分もやばいこと書いてるなって自覚してる。
「こいつ何言ってんだ?」
「やばいな。」
「脳みそいかれてんな。」
「こいつ死ねよ。」
など様々な誹謗中傷、人格否定の声が届くだろう。
しかし、覚悟は承知の上だ。
様々な非難、批判を承知覚悟で書いていく次第である。
この世は地獄。出産は地獄に命を引き釣り込む鬼畜の所業だ。
この世は地獄。
これは、毎回このブログに書きすぎていて、よく拝見してくれている人ならご存知だろうけど、改めて言う。
この世は地獄だ。
釈迦が生きるとは、生老病死と言ったように、人間が生きるというのは苦が絶対つきものである。
老い、病、死、これは誰もが避けられない運命だし、生、というのも生きていくうえで様々な不幸が起きる。
生きる=苦。
これは切っても切り離せない生きる上での真理だと思う。
生きる上で苦を感じない人は、釈迦のように悟りの境地に達した者か、どうしようもなく頭がお花畑な奴と思ってもらえたらいい。
この世は紛れもない地獄だ。
これをごまかしている人間は現実を直視できていないし、この世を天国と思いたい現実逃避でしかない。
そして、そんなこの世を天国だと思い込んでいる奴らが知らず知らずの内にこの世の地獄作りにせっせと加担しているとも気づかないで。
そして、こんな地獄に新しい命を連れてくる出産という行為は紛れもない鬼の所業なのである。
子供は同意なしで強制的に地獄に連れて来られるのだ。これを鬼の所業と言わずして何というのか。
そして、産まれてきた命はこの地獄で様々な地獄を経験する羽目になる。
そして、そんな子供を見て、親が心配し、子供を心配するあまり親自身が悩む羽目になる。
なんと、滑稽な光景だろうか。
子供を産まなければそもそも子供の心配をしなくて済み、親自身も悩まずに済んだのに。
出産という行為で新たに悩みを種を増やすなんて愚かにもほどがある。
幸せを願って行った行為が元で家族みなが不幸になるという皮肉な惨状。
この世が地獄であるという認識の欠如、
セックスの快楽、
結婚したら子供をもつべきだという世間の価値観、世間の流れ、
子の幸せの気持ちを考える想像力、
未来に対しての浅はかなまでの楽観主義、
すべてに負けた結果が出産という行為になる。
この世を地獄にしているのは他ならず、人間なのである。人間そのものが鬼なのだ。
この世は地獄と言うけれど、紛れもなくこの世を地獄にしているのは人間そのものであると思う。
そもそもだけど、この世に生まれてきたら、加害者になるか被害者になるかのどちらかでしかない。
またはそのどちらも経験するのが人生というものである。
例えば、「富」という一つの話に絞って解説しようと思う。
そもそも富というのは有限だ。誰かが金持ちになれば、誰かが貧困に陥る。
言ってみれば、富を独占する側の者は世間の人々から搾取しているという意味で加害者になる。
逆に、搾取されている貧困側の人間は被害者なのである。
これは「富」だけの話に限るわけではなく、競争がある以上ありとあらゆる場面で出てくる。
勉強でも、勉強が出来る奴は良い大学にはいり、勉強が出来るということで優越感に浸ることができる。
逆に、勉強ができない奴は社会から居場所をなくし、勉強ができないという劣等感に苛まれる。
勉強が出来る奴は加害者で、勉強ができない奴は被害者。
この世は加害者側に立たなければ社会の居場所を確保できない構造になっていて、なんとも残酷で人間同士で殺し合いの様相を呈しているのがこの世なのである。
そういう意味から、僕はこの世で加害者にも被害者にもなりたくなかったから産んでほしくなかった。
人を傷つけたくないし、傷つけられたくもない。
生きていくというのは、仕方なく、人を傷つけ傷つけられという不毛な戦いを続けるだけの消耗戦なのだ。
地獄とは人間がつくりだしているわけだ。
人間は地獄作りが先天的に、天才的に上手いらしく、これはもう政治とか制度とかサービスとかでどうにかなる問題ではない。
人間は鬼そのものなのだ。
天国を作る方法は人類が滅びればいいのである。
出産=殺人である
またへんなこと言ってると思ってくれたら良い。
でもこれも本気で思ってる。
殺人というのは、なぜいけないかというと、他人の許可なしに人生を奪い、苦痛を伴わせるから逮捕され処罰されるのである。
これはけっこう、出産と似ている。
出産も、子供の許可なしに、人生をスタートさせられ、子供に苦痛を伴わせるという点では非常に類似している。
いや、出産は殺人以上かもしれない。
殺人の苦しみなんて、一瞬だ。
長く、苦しみながら死んでも10分くらいで死に至るだろう。
では、出産はどうか。
平均寿命80年という長い長い、人生という艱難辛苦を経験し、最後には病で苦しみながら死ぬ。
身内の話だけど、がんで叔母が死んだとき、麻酔を打つことができず、1年以上激痛と闘いながら死んでいった。
「こんな思いするなら死にたい。殺してくれ」と何度か訴えていた記憶がまだある。
本当に壮絶だった。
あの1年は叔母にとって地獄を超える地獄であったと思う。
そもそも叔母も生まれてこなければ、そんな地獄を経験せずに済んだのだ。
すべては、生まれた時からが過ちの始まりだったのだ。産声を上げた瞬間から苦は始まっていたのだ。
最後にあのような苦しんで死ぬ姿を見るととてもじゃないけど、新しい命なんて作ろうと思わない。
個人的には、出産は殺人よりも惨いかもしれないと思っている。
そのような理由から、子供を作った人間は死刑でも良いんじゃないかと思ってる。
「子供産んだ人間は死刑だったら人類滅亡するじゃないか。」
という意見があるが、何度も言わせんな。
人類なんて滅びればいい
まとめ
まぁ、かなりえげつなくてやばいことを書いてるなと自分なが承知はしている。
流石に、死刑は言い過ぎたかなと自分でも思っている。
でも、これくらい言わないと、軽々しく子供を作ってほしくないという気持ちからこういうタイトルで書かせてもらった。
子供を作ろうと思っている人は並々ならぬ覚悟を持ってほしいと思う。
これで、間違いなく、子持ちの親と、これから子供を作ろうとしている人間には嫌われたし、敵に回ったかもしれないと思っている。
それでもこれは、書かなければいけないという使命感みたいなものがあった。
とにかく、命を軽く見ないでほしい。
世間の価値観、軽はずみな行動、楽観的な考え、
どれもゴミみたいなもんだ。
そんな軽はずみな行動で子供を地獄に連れてくる奴こそ地獄に落ちればいい。