人を傷つけないと生き残れないこの世はゴミだよ
世の中競争社会。
勝ち負けで人生が決まる。
弱肉強食。
この言葉に反論できる人は存在するだろうか・・
確かに競争社会のおかげで文明が発達し、便利な物も増え、生活は楽しいのもので溢れている。
勝ち負けも、勝者がかっこよく見え、誰かに勇気や感動などを与えるという結果に終わることもあるかもしれないが、裏を見てみれば敗者も当たり前ようにいる。
敗者も勝てば世間的評価を得て幸せになれたのかもしれないのに、自分よりも強い者にそれを侵害されるわけだ。
弱肉強食も、富める者は貧しいものからどんどん搾取し、富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなる。
このように、人間の幸不幸を決める基準に人間同士の勝ち負けが関わるというのは当たり前の話だ。
競争は楽しい。
勝負は素晴らしい。
弱肉強食で何が悪い。
こういった意見もある。
正しいっちゃ正しい。
だが、本質的に、競争があるから人間を不幸に貶めているのも変わらない。
ただ、「競争は楽しい」「競争があるから成長できる」と言った強制的、無理やりにでもポジティブシンキングをしているだけだ。
そして、そんなゴミみたいなポジティブシンキングが賞賛され、「競争は嫌だ」といった、ネガティブとされる少数意見は排除される。
そして、どんどんこの狂った何と争っているのかも分からない意味のないレースで消耗し合うわけだ。
ばかばかしい・・
こう言うと、「共産主義を目指せばいいじゃないか」
という反論が一定数来るが、その肝心の共産主義も終わっているんだ・・
それは過去のソ連などでも証明済みで、人間と言うのは本能的に人と争いそこで優劣を付けないと承認欲求とやらが刺激されないらしい。
どうやら、みんなと一緒でも問題は起こるらしいのだ。
人間は本能的に自分より下の存在、見下す存在を探しているから一緒とか平等というのは困るらしいんだよ。
どんな時代、世界でも、人間とやらは他人と比較して優劣をつけ、人を見下し、嘲笑、いじめ、差別し、負けていると思ったら悲観し、落ち込み、鬱、最悪自殺に追い込む社会だ・・
こんな残酷で惨い競争社会を「楽しい」「成長できる」といった安っぽい正論で片づけられるとでも思っているのだろうか・・
本当に、人間は終わっているんだ。人間は終わっている。
どんなものにも勝ち負け、優劣、下の存在を作らないと気が済まない人間と言う生き物そのものが終わっている。
だから、どうでもいいんだ。勝ち負けなんて。感動とか勇気とか。どうでもいい。
ただ、シンプルに反吐が出るんだ。
こういう勝ち負けを付けないと心が満たされないという構造になっている人間と言う存在に辟易する・・。
ほんと。無理。人間って。