きつねこブログ

こんにちは。3年前ニート時代にブログを開設しました。のんびり働いて、適当に生きる

お通夜に行ったけど、シンプルに気持ち悪かった。

こんにちは。きつねこです。

先日、地元の友人の母親がお亡くなりになられたとの報告が入ったのでなぜかぼくもお通夜に誘われたので、正直どうでも良かったが断るのは失礼だろうという経緯もあり行くことに・・・

「おめぇ!友達いんのかよ!!ヒキニートコミュ障ボッチ自称してたじゃねか!」

というこのブログを昔から読み進めて下さっている変態読者から突っ込みが入りそうですが、

まぁ、こんな感じでも中学時代までは友達多かったんですよ・・・(笑)

 

てな感じで行ってみた!

まぁ、正直言って気持ち悪かったけどね!

 

 

 

お葬式業者の仏教談話が意味わからな過ぎて笑ってしまった

お葬式とかお通夜でそこの業者が司会を担当してくれるんですけど。

その話が仏教的な話みたいでそれを聞いてたら笑ってしまいそうで、笑いをこらえるのに必死でした。

確か話はこんな感じ

死んだ後は三途の川に魂が行くんだけど~~

そこで生前の行いとか罪とかでその人がどこに行くのか判定されて~~

その後はどうたらこうたら~~

 よくもそんな確証もないスピリチュアル的なクソみたいな話、長々と真顔で公衆の面前でできますねって。

まぁ、お通夜だからみんな真面目な顔で聞いているわけですけど。

 ぼくとしては、そんな根も葉もないバカでも作り上げられそうな創作話をよく真顔で悲しむ顔で聞いてられるなと言う感じです。

これは何かのコントですか?コントしてるんですか?ネタですか?キングオブコント準決勝ですか?って感じでしたね。

 

とにもかくにも宗教何てクソだと思ってますし、宗教がこの世界を余計地獄化させていると思っているから、聞く意味ないです。

ていうか、少し話が逸れる補足ですけど、仏教は釈迦が始めた宗教じゃないですからね。釈迦のお弟子さんが釈迦の死後に勝手に作り上げ、作り話をでっち上げただけですからね。

釈迦本人は「死後の世界なんて知るか」っていうニュアンスの言葉を残しているみたいですから。

だから、この世界に残っている仏教、もしくは別の宗教とはなんぞや?と疑わないといけないんですよね。

無思考で縋る思いで信仰している人は知らず知らずのうちに、宗教団体に金取られますよって話。

 

まぁ、お葬式で笑いを堪えるのに必死だったぼくは見つかったら殺されそうだったのでマジである意味修行でした・・・

 

お葬式って泣かないといけないもんなの・・・?泣いている自分に酔ってない?

そのお通夜に行ってきて200人くらい参列してたんだけど・・・

ほとんどの人が泣いてたんだよね・・・

まぁ、親族とか血筋が近い人、親交が深かった人にとっては生前の記憶が思い出されて感極まって泣いてしまったのかもしれないけどさ・・・

ぼくが思うのは、「お前そこまで親交深くねーだろ・・・」って思うやつも泣いてるのは、ある意味引いた・・・

ていうか、お通夜とかお葬式行くと確実にいるんだけど、

泣いている自分に酔ってねーか?お前?

っていう奴が一定数いる。

正直俺はその友達の母親とはほぼ関りがなかったから、友達に誘われ出席を断るのも失礼だろうという理由で行っただけで、ぶっちゃけ俺にはその人が死のうがどうだろうが「だから何?」って感じだったわけだけど。

ある意味、「だから何?」っていう人が死んだ時に、泣く方が俺は失礼だと思うんだよ。めちゃくちゃ自分を良い人に見せようしているわけだから。心にでも思ってない感情を表現しているわけだから。

 

 

何かよ。お前らがもらい泣きっていうの?会場の悲しい雰囲気を察してか、それか一応お通夜だから悲しんどくかみたいな感じでシクシク泣くからよ。

泣いていない俺がめちゃ浮くじゃねーか!!早く帰りてーよ!!って感じなわけだったわけですよ・・・

お通夜はみんなが泣かないと場をシラケさせるヨ!!みたいな暗黙のルールみたいなパフォーマンス感がきしょくないか?

 

そもそも「死」は悲しいという刷り込みが嫌い

そもそも「死」に対してネガティブすぎるのもどうなのかなと・・・?

話が行ったり来たりして申し訳ないですが、親族が泣くのはまだ分かります。

これまでの長い期間を共に過ごしてきたわけですから、苦しかった時、楽しかった時など様々な記憶が蘇り感極まって感情が溢れ出すのはわかります。

でも、親交が浅い方たちにとって何を材料に泣いてたんでしょうかね?

シンプルに「死」というただそれだけの現象に泣いていたんですかね?

・「死」は悲しいから?

悲しくもなんともありません。むしろ死ねない方が計り知れないほど悲しいです。

・もうその人と会えないから?

あなたは会いたいと思うかもしれないですが、死んだ方は会いたいと思っているのでしょうか?それはあなたの個人的欲求じゃないでしょうか?あなたのエゴなのではないですか?こういう思考回路は子供を産むなど筋の通らない行動にも繋がりかねないのでお気をつけて。

とにもかくにも、ぼくはそのお通夜に参列して少なくとも泣く理由は見当たりませんでした。ぼくにとってはほぼ見知らぬ人が死んだレベルにしか思わないからです。

もし仮に泣くとしたとし、その理由を探せたとすれば、「死ねて良かったね」でしょう。

聞いた話によると、その方は重度の癌で長期に渡って闘病生活を送っていたと聞きました。

ぼくも身内に癌で亡くなった方がいたので、闘病生活の地獄さは端から見ているだけでも壮絶さが伝わってきたのですが、「死」というのは、その闘病生活から解放される一つの手段なのではないでしょうか。

ぼくもその身内の方が死んだ時、思わず泣いてしまいました。

これまでたくさん面倒を見てもらった時、遊んでくれた時、どこかに連れて行ってもらった時、様々な記憶が蘇りました。

でも、ぼくが一番思わず泣いてしまった理由はこれです。

「癌の闘病生活お疲れ様でした」

ぼくは、その方が死んで何もネガティブに思いませんでした。

むしろ、どうせ人は死ぬんだし、苦しみから解放されたポジティブな「死」ではないのかと・・・

そんな感じです。

 

まとめ。お通夜とかいうパフォーマンスがとにかく無理・・・

まとめるとすると、お葬式のパフォーマンス感がとても嫌いなわけです。

平気でぺらぺらと意味の分からない宗教的作り話を話し出す司会、

「死」に対して圧倒的にネガティブ的価値観の刷り込み、

思ってもない感情を平気で表せる参列者・・・

お通夜はみんなで泣いて空気を作るのだ!と言わんばかりのパフォーマンス感・・・

 

とにもかくにも、お通夜とかお葬式って苦手・・・

人との付き合いがある以上、断れない時もこれから多いだろうが、空気を壊さないよう心掛けたい・・・・・