きつねこブログ

こんにちは。ヒキニート時代にこのブログを開設しました。のんびり働いて、適当に生きる

気が付いたら勝手に人生が始まってました

気が付いたら勝手に人生が始まっていた。

気が付いたらこの人生というゲームがスタートしていた。

別に始めたいとも始めたくないという気持ちも言ってないのに。

 

「生まれてきたいか?」「生まれてきたらこんな理不尽な時や試練や不幸がいつ何時降りかかってくるか分からない不確実性の高い世界でも、それでも産まれてきたいか?」

「生まれてきたら寿命が来るまで人生を辞めれらないぞ」、

「人生というのはどちらかというと幸せより苦しみの方が多い。それに幸せを手に入れるためにもそれなりの苦痛に耐えないといけないから苦しみは避けて通れない」

というような前持った意見交換、この世界の情報とやらを聞かされないまま、何の許可もなしにこの世界の住人としてゲームをスタートさせられた格好。

 

 これだけ見ると、奴隷の強制連行と変わらないのではないか?

本人の意見を聞かず一切無視して強制的に動かしたいように人を動かす。利用する。支配下に置く。

ただ世間や親は、「自分の子供が欲しい。」「子供は可愛いから、命の誕生はめでたいから。」「出産は尊い行為」「国の次世代の人間が必要だ。」「人類を滅ぼしてはならぬ。」

などのような様々な意味付け。出産を肯定する残酷な意味付け。

子供を産む行為の正当性を高らかに主張しているわけだが、ここに子供の意見は1ミリたりとも考慮されていない。

クソみたいな意味付けから、それなりに高尚ぶっている意味付け。

色んな意味付けをしてこの世を美化するのに必死な国や宗教、親、世間。

産んでくれたことに感謝する人たちには手厚い歓迎や賛美の声が注がれるが、生れてきたくなかったや、死にたいなどのネガティブと言われる人たちに対しては見て見ぬふりだ。

心の底では、早く死ねとでも思っているに違いない。

そうとでも思わないとこの人類は存続できなかったわけだからだ。

高尚ぶった発言をするくせに腹の底では弱者や社会の下の者を切り捨て、それが社会だからと割り切る残酷な思想。

弱者、社会の下の者、人類誰もが平等で不幸と苦痛を取り除こうとするならば、出生や人類が存続し続けるという行為はできないはずなのである。

ある種、この世の幸せとは有限性であって、その有限の幸せを70億人という人間同士で奪い合って成立している世界であるわけだから、人類全員が幸せになるなんて夢物語に過ぎないのは誰だって理解できるはずなのに・・

仮に出生を繰り返し、人類を存続させたがるような人種は、この世界の不平等や不確実性、無意味性など、どれもこれも肯定しているわけであって、僕はそんな人種と死ぬまで分かり合えないだろうから本当にやり切れない。

 

 

本当に人生とはクソゲーだ。クソゲー。

それもクソゲーだからと言って簡単に自殺できるというわけもない。

本能という脳内チップに自殺する行為や死に対する圧倒的恐怖感を植え付けられているせいか、自殺するのも多大なる恐怖で簡単ではないというクソゲーの徹底ぶりだ。

どれだけクソゲーと呼ばれるゲームでも自主的に辞めれないゲームなどないはずなのに、この人生というゲームは辞めさせもくらないわけだ。

クソゲーというゲームの上に、クソゲーから逃れられない「死」という恐怖でクソゲーの檻に閉じ込め、寿命が来るまでクソゲーを続けないといけない。

クソゲーにクソゲーを上塗りする。上塗りに上塗りを重ねた、黒も黒。

漆黒も漆黒。

ダークホールもここまで黒くないんじゃないか?というくらいの漆黒の世界を肯定し人間はさらに黒の上塗りを続ける。

僕たちはこのキングオブクソゲーの1登場人物としてクソゲーを全うしなければならない強制連行者のようだ。

人生というクソゲーは、寿命が来るまで辞められないという所が圧倒的にクソゲーたる所以なのだ。

 

誰がこんなクソゲー存続させたいとでも思うのだろうか。

ただ本能に操られているだけとも気づかないで。

こんなもの理性的に思考すれば誰だってこの世のクソさ意味のなさ。僕の意見が正しいのはわかるはずだ。

出産して子孫を残すも、この世を無理くり美化するも、人類が存続する意味付けをするのも結局、本能だと。獣と同じ。

そんなものを肯定してもこの世界が良い方向に進むどころか意味のない地獄が増えるだけ。

そして、この世界の普通とやらを美化する自分に酔っているだけ。

社会の多数派意見が正しいと自分の頭で考えようとせず盲目的に信じているだけ。

こういう奴らに産まされてこういう奴らの都合に振り回され人生というクソゲーを寿命が来るまで全うしないといけないなんてバカらしいったらありゃしない。

お前らのバカげた人生ゲーム付き合ってられるか。

 

人類は自主的に滅びるべきである。

それが一番平和な世界で誰にも迷惑をかけない最善の方法であるからだ。

もしくは、この世界で生きたい人たちだけで楽しく人生ごっこをしたければ安楽死施設を作ればいいのではないか?と僕は提案する

安楽死施設ができれば死にたい人は死ぬので、生きたい人たちだけが残り、この世界に人生否定論者はいなくなるのだから。存分に人生ごっこを楽しみこの世界を肯定し人生を謳歌できるのではないか?

これは人生肯定論者(生きたい人)にも人生否定論者(死にたい人)にもWIN-WINの関係が成り立っていておかしい話ではないはずだ。

とにもかくにも安楽死施設は幸せしか生まないはずだからだ。死にたい人は死ぬ行為おそが最高の幸せであってその権利は尊重されてしかるべきだ。

安楽死施設が全人類を幸せにするという結論が出たところで反論はないだろう。

この証明によって世界的に政府は安楽死制度を導入すべきだ。

さもなくば人生肯定論者は嘘つきで綺麗な言葉だけを放つ偽善者だという証明にしかならないであろうから。

本当に。

勝手に始められたゲームなのだから、終わらせる時も自由に終わらせてくれ。