私がうつ病を経験して得た5つのもの
最初に、私のうつ病経歴を言っておこう。
6年前。
私は高校に入りたての頃鬱を発症しました。
正確に言えば、中学3年の後半から人生に違和感を覚え、色々脳内でぐるぐる考えたあげく、自己嫌悪と劣等感から鬱を発症しました。(説明が分かりづらくてすいません。説明すると時間がかかるのと、誰にも話したくないような話もあるんですんません。
とにかく、うつ病期間は辛かったですね。
肩こり、頭痛はずっと起きていて5年間くらいは慢性的な痛みに悩まされました。
そして、人と会話するのも精神的にしんどくて基本的に高校は中退して通信制高校に通い週2くらいの登校日数で卒業でした。
大学は入ったけど、ほとんど行かずに中退した。
それでも鬱が緩和したわけではないですね。
人と会う怖さ
体の節々の痛み
人生の絶望
将来の不安
孤独の寂しさ
周りと比較し、劣等感を抱き
思うように動かない体
やる気はあっても体が動かない
定期的に襲ってくる精神的不安定
学校も人付き合いもバイトもどれも上手くいかない
死にたい感情
こういう感情が起きる6年間を過ごしました。
一言で言うと
地獄
生き地獄って奴かな。
来る日も来る日も地獄って感じですね。生まれなかった方が良かったと脳内で叫んでいました。
(言葉がきつい表現もありますが、私のサイトでもかなり賑わっているページなのでよろしければ。それと賛否色んな意見がありますが、コメントを寄せてもらえばありがたいです。)
まぁ、これでも6年間で鬱を脱しれただけ運が良い方でもあるし、この世では10年以上鬱で苦しんでる人もわんさかいるからこれでもマシと思うとこの世の悲惨さにぞっとしますね。
本題。私が鬱で得たもの5つ
鬱を経験して私が得たもの
— きつねこ・はてなブログ (@f050505sankout1) January 7, 2019
・この世の風潮、常識、が分かり社会の洗脳からほぼ解放された
・孤独に強くなれた
・人生に良い意味で希望を持たなくなった。人生に期待せずに生きれているから苦痛を感じてもそれが普通だと思える
・反出生主義に気づけた
・この世は生きる意味がないほどゴミだと気づけた
1、この世の風潮、常識、が分かり社会の洗脳からほぼ解放された
私の鬱の症状が軽くなったのは、この世の風潮のあほらしい洗脳から解かれたというのも大きい。
とにかく、鬱の時は、
「人間は成功しなければならない。
「男たるものこういう生き方をしないと
「こういう生き方はしちゃいけない。ニートなんてもってのほかだ。
っていう感じで、いわゆる、「~~べき思考」だったのが大きんだよね。
でも、鬱期間が長引いてくると、学校行かないのが普通だし、友達いないのも普通になったし、
それでも、「あれ?世間の風潮とか生活とかなり乖離してるけど、結構この何にもしない生活も幸せじゃね?」って気づけたんだ。
意外と世間の風潮と乖離した方が幸せかも?むしろ世間の風潮よりこっちの方が幸せじゃん!
って。
そこから私は世間のレールから外れ、世間の風潮を疑って生きるようになった。
そしたら、鬱も軽くなったし、人と比較する回数も減ったから落ち込みも減ったし、良いものばかりが転がり込んできた。
とにかく、鬱の人は「~べき思考」の人が圧倒的に多い。
それを辞めたらもっと自由に生きれるというのを知っておいてほしい。
2、孤独に強くなれた
これも鬱を経験して得た大きな点です。
もうね。鬱の間は中学時代までの友人ともほぼ会ってないですし、通信制高校に行ってもボッチ飯ですから、そりゃ孤独に慣れます。
ボッチに慣れてない頃はボッチに自信が持てませんが、ボッチに自信を持つようになってからは友達や恋人が欲しいなんて思わずに生きられます。
やはり、人としては孤独というのはどこかネガティブなイメージを持ちがちだし、孤独=社会不適合者、っていう烙印を押されかねないのでビクビクしている人も多い気もします。
勿論、孤独=社会不適合者という指摘はあながち間違ってませんし、それなりに的を得てますが、私なりの意見を申し上げますと。
社会不適合者のどこが悪いんですか!?
って話です。
この世界では社会に順応して生活できるというのが一つの目安になるのかと思うんですけど、だからと言って、社会に順応している人が素晴らしいわけではないと思うし、過去の偉人を見渡しても、孤独で社会不適合者な人ってたくさんいます。
ある意味、社会不適合って可能性なんです。
可能性の塊です。
なので、孤独でも私は自信を持って良いと思いますし、その孤独を楽しんでしまえば生きるのがとても楽ですし人として孤独を制するほど強いものはないかと。
③・人生に良い意味で希望を持たなくなった。人生に期待せずに生きれているから苦痛を感じてもそれが普通だと思える
この前こういうやつを書きました。
頭のおかしい時に書きなぐった文章ですが、よろしければ読んでみてください。
とにかくね。
期待しない方が良いよ。人生は。
期待してるとそれより悪い結果が出たときに、本当に落胆して立ち直るのに凄く労力と時間が必要になるからね。
でも、絶望してしまえば、鬱が治らなかったとしても、「まぁいいか、この世はゴミだもんな」っていうスタンスで気持ち的にすごく楽になる。
だから、絶望するのは良いよ。
つーか絶望しろよ。この世に。救いなんて期待するな。
そして、絶望しながらも行動して前に少しでも進んで現状を変えていくのが最強のスタンスだと個人的に思ってる。
④・反出生主義に気づけた
これは①で書いたのに似てるけど、要は、この世の風潮とか常識ってクソだなって気づけたのが大きかった。
その点、私はあらゆる苦は出生という何のメリットもないエゴの塊のような行為から発生しているって気づけたんだよ。
やはり、出生というのはメリットなんて微塵も存在しない。
傷つけ傷つけられという意味もない不毛な競争社会に新しい命を送り込んで無意味に競争させ、無意味に争い、消耗するというなんともバカげた行為を繰り返しているというのが人類なわけだ。
いい加減こういうの意味もないし、誰かが確実に不幸になる営みを辞めにしないか?
10人中9人が幸せになって1人が不幸になるっていうのでも駄目だと思うんだよ。
なんで、誰かの幸福のために誰かが不幸にならないといけないんだよ?
それって残酷じゃないか?
それだったら、みんな幸福にもなれないけど、不幸にもならない「無」。
即ち、「産まれない」っていうのが最高の幸福になると私は考えているんだけど。
まぁ、色んな意見があると思う。
しかし、私はこういう風に考えるというのだけは理解していただきたい。
過去にも反出生についてはたくさん書いているのでよろしければどうぞ。
⑤・この世は生きる意味がないほどゴミだと気づけた
これも先ほど出てきた話に似てますが、要は「この世に生きる意味なんてなにもありません」
むしろ、意味を付けるからこの世が狂ってくるし、
・親を選んで産まれてきた
・宗教がどうのこうの
・先祖がどうのこうの。
・言い伝えがどうのこうの
知るかって話です。出たらめ言うのもやめてください。
聞き飽きました
「生きる意味なんてない。」
気づけたからこそ体の力が抜けて気楽に生きれるというメリットがあるわけです。
それではさようなら。